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「気象庁震度階級関連解説表」から「大半」と「ほとんど」の意味と由来を考える

「大半」と「ほとんど」の表現は、人により受け取り方が違うかな、と思います。

地震が多いので震度を検索してみました。
正式な見解を知っておこうと思ったからです。

確認したのは「気象庁震度階級関連解説表」です。

※「気象庁ホームページ」>「気象庁震度階級関連解説表」へのリンク先↓

気象庁 | 気象庁震度階級関連解説表

震度階級の区分が表になっています。
この中で、程度の表現に「大半」と「ほとんど」が使われていました。

あまりにも多用されているので「大半」と「ほとんど」の違いを確認したくなります。

 

気象庁震度階級関連解説表」の「大半」と「ほとんど」

「使用にあたっての留意事項」が記されています。
6番目に以下の事項が載っています。

「この資料では、被害などの量を概数で表せない場合に、一応の目安として、次の副詞・形容詞を用いています。」
出典:気象庁ホームページ(https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/shindo/kaisetsu.html)
「使用にあたっての留意事項」(気象庁ホームページより)

ここに「大半」と「ほとんど」の定義がされていました。
・「大半」は「半分以上。ほとんどよりは少ない」
・「ほとんど」は「全部ではないが、全部に近い」
となっています。

表は以下のとおりです。

気象庁気象庁震度階級関連解説表」の「使用にあたっての留意事項」
(https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/shindo/kaisetsu.html)を一部抜粋のうえ加工して作成

定義に続いて「人の体感・行動、屋内の状況、屋外の状況」が記されています。
「大半、ほとんど」が頻繁に使われています。


気象庁気象庁震度階級関連解説表」の「人の体感・行動、屋内の状況、屋外の状況」
(https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/shindo/kaisetsu.html)を一部抜粋のうえ加工して作成

「大半」と「ほとんど」だらけですね。


「大半」と「ほとんど」の意味を探る

「大半」より「ほとんど」の方が、その度合いが大きいことは分かります。

しかしどうしても曖昧さがあります。
曖昧な日本語は、ときに正確に伝わらないことがあるので注意が必要です。

ここであらためて正確に確認します。

「大半」の意味

辞書には
「全体の半数を超えていること、半分以上、過半、大部分」などの意味とあります。

しかし辞書には割合は明示されていません。

「ほとんど」の意味

辞書には
「大方、多くの中の大部分」などの意味とあります。

どの程度のことを示すかは
・全体のうちほんの一部しか欠いていないさま
・あと少しで完成または終了するさま
・全体のうちの大多数を指す
とされます。

こちらも辞書には割合は明示されていません。

「大半」と「ほとんど」は、人により受け取り方が違う

Yahoo!知恵袋や教えて!gooを見ると、質問に対する回答は一様でありません。

「大半」は、50超~90未の割合との回答が占めます。
「ほとんど」は、90超~100未の割合との回答が占めます。

「大半」と「ほとんど」を割合で明示すると

「大半」は、過半数を超えていることです。
ですから「50超~」となります。
上限は分母次第です。
分母が10なら、10のうち69です。
分母が5なら、5のうち3です。
分母が3なら、3のうち2です。*

「ほとんど」は、全部まではいかないが、全部に近い状況のことです。
ですから「~100未」となります。
下限は分母次第です。
分母が10なら、10のうち9です。
分母が5なら、5のうち4です。
分母が3なら、3のうち2です。*

*のところが重なっています。
重複しているので問題が生じると思います。


「大半」と「ほとんど」の由来

「大半」の由来は、古代の中国で使われていたものと言われます。
漢の時代に「小半(少半)」「大半」という言葉があり、「1/3」「2/3」の意味です。
「半分より少ない」のが「小半(少半)」、「半分より大きい」のが「大半」という意味です。

ちなみに、半分のことは「一半」と言います。
二分したうちの一方ということです。

「ほとんど」の由来は、平安から鎌倉時代に使われた「ほとほど」や「ほとをと」と言われます。
室町時代に「ほとんど」になったようです。
「ほとほと」は「辺」や「側」で、「ほとり」の「ほと」を重ねたものです。
現代は「ほとんど」がこの意味を引き継いでいます。
一方、元の「ほとほと」の言葉は残り、意味が変化して「まったく」「つくづく」に変わりました。


「大半」と「ほとんど」をはじめとした「あいまい表現」は、今の日本そのもの

二通り以上の解釈ができる言葉や、示す範囲が広すぎてどうにでも取れる言葉を「あいまい語」と呼びます。
意味が一つに決まらなかったり、漠然としている言葉は「ぼんやり語」と呼ばれることもあります。
日本の在り方を象徴するものです。
日本人の思考回路が、それらの言葉のようになっていると思えます。

こうした言葉を減らすことが求められると考えます。

・何を言っているのか、ストレートに分からない
・どうとでも受け取れるため、言葉を放った人の責任は問われにくい
・受け手側の受け取り方に委ねられるので、都合の良い発言に用いられる
・立場のある方、責任を伴なう方、などに使われると何も進まない

政治家や経営者の記者会見や答弁を見ると歯痒く思います。
メディアものらりくらりといった風に見えたりします。

この国の成長が止まったのは、この辺のところに問題があるように思えて仕方ありません。

海外から奇妙な国と思われたくありません。
交渉事でも真意のつかめない国と思われたくないですね。


おわりに

気象庁震度階級関連解説表」の「大半」と「ほとんど」の表現を見たら、その意味と由来を考えてみたくなりました。

曖昧な言葉がもたらすもの、その思考の影響、成長しない日本、といったことに考えが膨らみました。
ここでは、これ以上は深入りせずにおわります。

曖昧な日本語は思い違いも生じるので厄介です。
ただ、この背景には、相手に不快な思いをさせない、良好な関係を保とうといった「思いやり」があったりします。
その反面で、「思いやり」のない人に都合よく使われることもあります。

日本語を使うことは、細やかな心情を育むことを可能としますが、日本人の民度が下がったとしたら、その悪い面が前面に現われてしまうでしょう。

自分としては、日本語は好きなので、よりよく使いたいと思います。

この内容が何かのお役に立ちましたら幸いです。

曖昧な言葉がもたらすものについて、また機会があればまとめたいと思います。